こんにちは、ユキムラです!
みなさんは学校の授業などで、歴史を学んだことが1度はあるとおもいます。
そのなかで「~の戦い」という文章を、何度か見たことありませんか?
しかし実際に、現地へ見に行った方はそれほど多くはないですよね。
そこで私が、現地を訪れてご案内するシリーズです。
今回は石橋山の戦いがあった、石橋山古戦場をご紹介します。
石橋山の戦いとは?
石橋山の戦いとは、平安時代末期(西暦1180年)に、相模国(現在の神奈川県)で起きた戦いです。
源頼朝が平家打倒のために立ち上がり、初めて戦った場所になります。
鎌倉を目指す途中で戦いになりました。
対戦相手は平家方の【大庭景親(おおばかげちか)】【伊東祐親(いとうすけちか)】で、
頼朝軍300人×大庭・伊東軍3000人という勢力です。
頼朝には当初、三浦半島を本拠にする【三浦義澄】の軍と合流する予定でした。
しかし、小田原の東側を流れる酒匂(さかわ)川が大雨で増水して渡れず、足止めされることになります。
そのため、約10倍の敵軍と対決することになった頼朝は大敗し、真鶴から船で千葉に逃れました。
現在の石橋山見取図です。
石橋山古戦場は東海道線の脇にあり、車で来ることができます。
現地訪問
それでは現地を見て行きましょう。
私は今回、車でアクセスしました。
古戦場の最寄りに、【佐奈田霊社】という神社の駐車場があります。
けっこう広いスペースがありました。
今回はこの駐車場から、ぐるっと1周することにしましょう。
まずは道路を下へ歩いて行きます。
すると交差点が見えてきました。
交差点の左側には、石橋山古戦場の石碑があります。
案内板があるので、これに従いながら行きましょう。
この場所は【相模湾】と【東海道線】が一望できる、絶景スポットなんです。
上りの普通列車がやってきました。
もう少しアップにしたかったですね。
下りの特急踊り子も通過していきました。
普段見ない場所から列車を眺めるのも、なかなか新鮮で楽しかったです!
先に進みましょう。
道は車が1台通るのがやっとのスペースで、なかなか凄いところを通って行きます。
すると、木のトンネルが見えてきました。
木の根本には【文三堂】の案内板があったので、行ってみましょう。
左側には【ねじり畑】という、案内板が建っていました。
名前の由来は、この畑で作物を育てると、すべてねじれてしまうことからです。
この場所は頼朝の家臣【佐奈田与一義忠(さなだよいちよしただ)】という、武将が討ち死したといわれる場所です。
佐奈田義忠は、相模の三浦氏ゆかりの岡崎義実の子です。
源頼朝挙兵時から付き従い、石橋山の戦いでは先陣を任されていました。
戦い当日は夜間で豪雨に見舞われ、敵味方が分からないほどでした。
15騎を率いていた義忠は、平家方の俣野景久、長尾新五、新六ら73騎と遭遇します。
乱戦の末、義忠は俣野景久を組伏せますが、後から駆けつけた長尾新六によって討ち取られてしまいます。
文三堂に到着しました。
このお堂は、義忠に付き従っていた【陶山文三家康(すやまぶんぞういえやす)】を祀っています。
ここからは、先ほどの案内板まで戻りましょう。
文三堂の案内板があるところまで戻ってきました。
今度はかなり急な階段があるので、登ってみましょう。
この上には何があるのでしょうか?
階段の幅も狭いので、踏み外さないように注意してください。
上まで登ってきました。
【佐奈田霊社】に到着です。
この神社は佐奈田義忠を祀っていて、義忠の持病が痰であったことから、喉・声に効果があるとして知られています。
2022年の大河ドラマ【鎌倉殿の13人】の中でも登場した、ゆかりの地として紹介されていました。
アクセス
石橋山古戦場は、神奈川県西部にあります。
電車でも来ることができますが、根府川駅~早川駅の間に位置しています。
山道もキツイので、車でのお越しをオススメします。
まとめ
いかがでしたか?
今まで教科書で知らなかったことが、現地に行くことで新たな発見もあって、とても興味深かったです。
みなさんもぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。
それではこのあたりで!
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