こんにちは、ユキムラです!
突然ですがみなさんは、東京に山城があるのを知っていますか?
実は八王子市にあり、名前は【八王子城】といいます。
現在は公園となっていますが、戦国時代は激戦があった城でもあるのです。
そこで今回は、八王子城の戦う場所「要害地区」の遺構をご紹介していきたいと思います。
(※本記事は現地案内板を参考にしました)
八王子城の簡単な歴史
八王子城は1587年に、小田原北条氏の一族【北条氏照(うじてる)】によって築かれた山城です。
氏照は以前、近くにあった【滝山城】を本拠にしていましたが、武田信玄の関東侵攻の影響により、八王子城を築くきっかけになりました。
しかし1590年の、豊臣秀吉による【小田原征伐】によって、八王子城は戦いの舞台になります。
このとき氏照は「小田原城」に籠城しており、八王子城には「農民・職人・山伏」などが、兵士として守ることになりました。
しかし「前田利家・上杉景勝」などの大軍に徹底的な「力攻め」を受け、わずか1日で落城してしまいます。
戦後、新しい領主となった【徳川家康】は、八王子城を廃城とし、築かれてからわずか3年で幕を閉じることになりました。
ガイダンス施設
城を攻める前に、麓の入口付近にある【ガイダンス施設】を見学して行かれることをオススメします。
城の歴史や小田原征伐の話、どうして八王子城が攻められたのか、掲示物や映像で分かりやすく解説してありました。
城(要害地区)を攻める
さっそく攻めていきましょう。
要害地区は標高445mの【深沢山】を取り込んでいるので、城の道は「登山道」です。
現在は【八王子城跡自然公園】となっていて、登山を楽しまれる方が多数います。
城の入口は【八王子城本丸方面】という立て看板があるので、分かりやすいです。
登山道は1人がやっと通れるほど狭く、足場が悪い急斜面の道が続き、早くも息が上がるほどに。
登りはじめてから5分ほどすると、なんと「鳥居」が見えてきました。
実は山上には【八王子神社】があり、登山道は「参道」でもあります。
金子曲輪
登りはじめてから15分ほどで【金子曲輪】に到着です。
ここには【金子家重】が守っていました。
曲輪といってもそれほど広いわけではなく、横幅は約5mほどといったところでしょうか。
しかしこの場所で激戦があり、前田軍がが突入して、家重を討ち取った場所です。
金子曲輪を過ぎると、再び険しい山道となります。
柵門跡
登りはじめて約30分【柵門(さくもん)跡】に到着です。
ここからルートが3方向に分かれます。
左手が【山王台方面】真ん中が【中丸方面】右手が【搦手口方面】です。
しかし左手の「山王台方面」は滑落者がいたらしく、通行禁止となっていました。
右手は下に降りてしまうので、真ん中を進んでいきましょう。
山道が続く登山道のなかで、古い石垣を発見しました。
おそらく戦国時代に築かれたものでしょう。
道のりはさらに厳しく、つづら折りとなりました。
このような道は、城側の守備隊は上から効率よく攻撃することができ、攻撃隊は苦戦をする場所でも在るでしょう。
高丸
登りはじめてから約50分、【高丸(たかまる)】という場所に到着です。
この場所は尾根の段差が変わる先端にあり、「見張台」のような機能をしていたのではないでしょうか。
高丸を過ぎると【九合目】の杭を発見しました。
ゴールまでもう少しです。
絶景ポイント
八王子城の登山道には【絶景ポイント】があり、攻め手からすると束の間の休息です。
そんな絶景は、動画でお楽しみください。
この場所からは、スタート地点のガイダンス施設も見えました。
けっこう登ってきましたね。
途中の案内板も、ゴールを示しています。
スタートから約1時間、【八王子神社】に到着です。
ここまで登ってからの階段は、足にダメージを与え続けます。
やっとの思いで階段を登りきると、社殿が見えてきました。
八王子神社は北条氏照が、城の守り神として建立されたといわれています。
山上の3曲輪
ここからは要害地区の「肝」である、3つの曲輪を攻めていきましょう。
山上部では【本丸】【松木曲輪】【小宮曲輪】が連携することで、防御ラインを作っていました。
松木曲輪
まずは【松木曲輪】です。
八王子神社の南側にあります。
ここには【中山家範】が守っていました。
ここからは、東~南側までの眺望が素晴らしく、
高尾山まで見渡すことができます。
この曲輪は次にご紹介する【小宮曲輪】と、八王子神社付近の曲輪で連携することで、敵軍を挟み込む形で攻撃できました。
小宮曲輪
次にご紹介するのが【小宮曲輪】です。
八王子神社の北側にあります。
ちょっと獣道のようなルートになっていましたが、この道を何とか進んでいきます。
斜面の道を2~3分登っていくと、石像のようなものが見えてきました。
そして、小宮曲輪に到着です。
ここには【狩野一庵】が守っていました。
ここでは城方が奮戦し、攻め手の「前田軍」を当初は寄せつけませんでした。
しかし「上杉景勝」の軍が、援軍として駆けつけると、小宮曲輪の兵は総崩れとなったようです。
また、曲輪の裏側には「抜け道」があり、本丸方面へ行くことができます。
途中には麓方面への別れ道がありました。
どうやら上杉軍は、小宮曲輪の裏側にある抜け道を利用して、背後から攻撃したようです。
もしかすると、このようなところを通ってきたのかもしれません。
八王子城にはこのような抜け道が多数あり、迷いそうになりました。
本丸
そして、いよいよ【本丸】です。
さすがに八王子城の最終防御施設だけあり、道が狭くて攻めずらさを感じます。
そして登りきった先には【八王子城本丸址】の石碑があり、本丸に到着したことを実感できました。
本丸には氏照の家臣【横地監物(よこちけんもつ)】が守ります。
しかし【小宮曲輪】と【松木曲輪】が落とされると、城の防御ラインは崩れてしまい、落城は必須となりました。
横地は本丸が落とされる前に城を脱出しますが、落ち延びる最中に切腹したといわれています。
最後に
いかがでしたか?
実際に戦いがあった城にいくと、いろんなことが想像でき、とても勉強になります。
この戦いで亡くなられた方の慰霊も込めて、伝えられたらと改めて思いました。
次回は山の麓にある住居施設【居館地区】のご紹介をしていきます。
それではこのあたりで!
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