【鉢形城】荒川沿いの絶壁にあった「北条氏邦」の城

城と歴史

こんにちは、ユキムラです!

埼玉県に【鉢形(はちがた)城】という、戦国時代のお城があります。

このお城を使っていたのが、当時関東を治めていた「小田原北条氏」の一族【北条氏邦】でした。

そこで今回は【鉢形城】を攻めて、北条氏ならではの「城造り」に迫っていきましょう。

(本記事は現地の参考資料を使用してます)

鉢形城の簡単な歴史

鉢形城は埼玉県寄居町にある、戦国時代のお城です。

城ができたのは戦国時代の初期頃、1476年に【長尾景春】が築いたのが、最初といわれています。

その後、数多くの豪族が奪い合うなかで、関東に勢力を広げてきた【小田原北条氏】によって鉢形城が支配されました。

そのなかで、一族である【北条氏邦(うじくに)】が城主となります。

そして鉢形城は【武田信玄・上杉謙信】といった強敵に攻められますが、氏邦は何とか守り抜きます。

そして北条家の「北関東」を攻略する拠点として、重要な城となっていくのです。

北条氏邦ってどんな人?

北条氏邦は小田原北条氏3代目当主【北条氏康】の五男として生まれます。

氏邦は、北条氏が鉢形の領地を組み入れる際に、当時この地を治めていた「藤田氏」の養子となりました。

そして鉢形領を継ぐと同時に、鉢形城を改修して巨大な城郭とします。

この後氏邦は、北関東に勢力を広げていきます。

その功績により「氏政・氏照」につづき、北条家NO3まで上り詰めるのです。

城を攻める

それでは、さっそく攻めていきましょう!

今回はルートの都合上、

笹曲輪→本丸→二の曲輪→三の曲輪→逸見曲輪→鉢形城歴史館→外曲輪】の順に攻めていきます。

笹曲輪

まずは【笹曲輪】に着きました。

寄居駅方面からきたとき、真っ先に現れる曲輪です。

ここには鉢形城の【地形模型】がある場所です。

城を攻める前に見ていくと、全体像が分かってより楽しいですよ!

笹曲輪の横には本丸の土塁も見られます。

途中には【石垣】もあり、戦国時代の城でありながら、近代的な面も合わせ持っていました。

本丸

次に【本丸】を攻めていきましょう。

周りは高い土塁に囲まれ、とても重要な場所だと実感します。

本丸は荒川沿いに配置されています。

こちらからは、あまりにも高さがありすぎるので、絶対に攻められませんね!

そのなかには【伝御殿曲輪】という場所もあり、

氏邦の館があった場所といわれています。

本丸と二の曲輪との境は、写真のような高低差があり、重要さが伝わってきます。

二の曲輪

次に【二の曲輪】を攻めていきましょう。

ここにも当時の「土塁」が多数残っています。

二の曲輪はかなりのスペースがあり、多数の建物が建っていたと思われます。

この場所での見所は、三の曲輪との境目にある【空堀】です。

この堀は中を歩くことができ、攻め手側に立つといかに攻めにくいか実感することができます。

この堀には【山中城】などで見られる、「畝(うね)」が残っており、北条家ならではの造りを感じることができますよ!

【山中城】北条氏康が築き悲劇の舞台になった「箱根」の山城
北条氏康が東海道の箱根に築いた山城。 「北条流築城術」を結集した城は【小田原征伐】の舞台になります。

下からは「木橋」も見ることができました。

この橋は復元されたものです。

橋が繋がっていたのは【馬出し】です。

馬出しとは曲輪と曲輪を繋ぐ「防御施設」ですが、二の曲輪にあるものはとても綺麗に管理されています。

ユキムラ
ユキムラ

敵が攻めてきたときには、木橋などを落とすことで分断することができますよ!

三の曲輪(秩父曲輪)

次に【三の曲輪】に攻め込みましょう。

三の曲輪は鉢形城のなかで、復元されている建物が多い曲輪です。

まずは【井戸跡】に来ました。

とてもイメージがつきやすいですが、

深さはそれほどなく、あくまでこの場所にあったということを、知ることができます。

三の曲輪は別名【秩父曲輪】といいます。

名前の由来は、氏邦の重臣「秩父孫次郎(まごじろう)」からです。

ここの入口にあるのが【四脚門】で、発掘調査をしたうえで復元されました。

門を過ぎると、石垣が積まれているエリアに入っていきます。

これは【石積土塁】です。

こちらも発掘調査をしたのち、積み直されました。

この石垣は、防御を目的としたものではありません。

その目的は「風情」でした。

この場所は【庭園】となっているんです。

手前の窪みには「池」があったらしく、まさに和の庭園が広がっていたことでしょう。

ここには建物があり、茶会・歌会などが開かれていたみたいです。

ユキムラ
ユキムラ

戦国時代という過酷な時代を生きるなかで、僅かな癒しを求められた場所だったのかもしれません。

秩父曲輪の先には【諏訪神社】もありました。

ここは元々「諏訪曲輪」といわれていて、鉢形城の西端部分です。

逸見曲輪

逸見(いつみ)曲輪】は鉢形城の中核部分にあった曲輪です。

空堀はもちろんですが、

写真の真ん中あたりには「水堀」がありました。

外周には深い堀が囲い、とても厳重な防御システムとなっています。

中心には大きな「池」があり、写真の左端に写る小さな盛土の上には【弁天社】という社まであったみたいです。

外曲輪・鉢形城歴史館

次に見えてきたのは【鉢形城歴史館】です。

この歴史館は、鉢形城の【外曲輪】にあります。

歴史館の入口には戦国時代を模した門があり、その先が歴史館です。

鉢形城の歴史をはじめ、小田原北条氏のことを詳しく紹介されていますよ。

なかでも入口付近にある、鉢形城を再現した【VR体験コーナー】が、なかなか迫力があって面白かったです。

歴史館の隣には【休憩スペース】もあるので、疲れたらちょっとひと息つくのもいいですね。

歴史館の隣にも外曲輪がつづき、かなり広いスペースがあります。

ここにも【土塁】が築かれていて、この場所から外は「城外」となります。

深沢川と氏邦桜

外曲輪と二の曲輪間には【深沢川】が流れていて、天然の堀になっていました。

二の曲輪の外れには、桜の木が1本あります。

この桜は「エドヒガンザクラ」という品種で、2018年に【氏邦桜(うじくにざくら)】と命名されました。

鉢形城の隠れたスポットです。

ユキムラ
ユキムラ

見頃は3月下旬~4月上旬あたりですよ!

小田原征伐と鉢形城

これまで何度も攻められ、守り抜いてきた鉢形城でしたが、最大の危機を迎えます。

それは豊臣秀吉による【小田原征伐】です。

約20万の大軍で攻められることになった関東は、小田原城と鉢形城などの各支城で【籠城戦】をすることになります。

しかしそれでは勝ち目がないと悟った氏邦は、

「駿河(静岡)方面に出て、大規模な野戦をするべきだ」

と、氏政をはじめとした一族に訴えますが、ついに聞き入れてもらえず決裂。

北条一族が小田原城に籠るなか、氏邦のみ鉢形城に引き揚げます。

そして鉢形城は、【前田利家・上杉景勝・真田昌幸】などの北国軍と戦うことになりました。

鉢形城は約5万人の北国軍に囲まれますが、氏邦は約1ヶ月間、城を守ります。

しかし前田軍との交渉した上で、ついに開城することになりました。

このとき氏邦をはじめ、城兵たちの命が助けられます。

しかしこの判断が秀吉の怒りを買い、その後に攻める【八王子城】での惨劇を生むことになりました。

【八王子城】北条氏照が最期の拠点とした東京の山城(要害編)
小田原征伐前に築かれた北条氏照の城 山頂の【要害地区】は「3つの曲輪」で防御する鉄壁のシステムでした。

アクセス

最後に鉢形城への【アクセス】をご紹介します。

公共交通機関

・東武東上線「寄居駅」南口下車、徒歩20分

・関越自動車道「花園IC」下車、国道140号を「秩父・長瀞方面」へ約15分

ユキムラ
ユキムラ

鉢形城歴史館に【無料駐車場】がありますよ!

最後に

いかがでしたか?

鉢形城は、戦国時代の遺構が数多く残る、見ごたえあるお城でした。

人混みもないので、ゆっくりお城見学をすることができますよ!

ぜひ行ってみては、いかがですか。

それではこのあたりで!

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